薩摩切子

薩摩切子
薩摩切子
薩摩切子
江戸末期の薩摩藩主・島津斉彬 (しまづ なりあきら1809〜1858年) は日本を強く豊かな国にするため、集成館事業という大規模な近代化事業を推進しました。その中で海外交易品を目指し、中国の色被せ技術と西洋風のデザイン、江戸の職人の技術を合わせて、ぼかしの特徴をもつ薩摩切子を開発しました。着色ガラスの研究も行なわれ、中でも、日本で初めて、銅 (Cu)または金(Au)による発色に成功した紅色は「薩摩ノ紅硝子」として当時日本中で広く称賛されたと言われ、現在でも有名です。

名声を極めた薩摩切子ではありましたが、幕末から明治初期の動乱期の中、明治10年(1877年)の西南戦争前後に、その技術は途絶えてしまいました。その後およそ100年の時を経て、世界に誇るガラス工芸の歴史を再興させたいとの熱い思いから1985年、鹿児島市磯に薩摩ガラス工芸が設立されて、薩摩切子は復活しました。現在では当時の伝統を生かしながら新しいタイプの製造にも積極的に取り組まれています。
文責:
熊本大学
村田貴広

写真提供:
尚古集成館

参考文献:
尚古集成館研究紀要15号