飛鳥池遺跡のガラス製造

飛鳥池遺跡のガラス製造
奈良県飛鳥池遺跡は7世紀後半の遺跡で、日本列島において初めて原料からガラスを製造した場所であると考えられます。発掘調査では、ガラスの原料となる石英や鉛鉱石(写真右上)、ガラス原料を溶解するための坩堝(るつぼ)(写真左上)、製造されたガラスを玉へと加工するために使用された鋳型(いがた)(写真右下)、玉へと加工されないまま遺棄されたガラス片などが多数、出土しました。人工的に製造されたガラスでできた製品が日本列島へ初めて輸入されたのは弥生時代中期初めの紀元前4ないし3世紀に遡るので、飛鳥池遺跡の成立までに1000年にも及ぶ長い時間が経過していたことになります。飛鳥池遺跡におけるガラスの製造は、中国の隋において発展した鉛ガラスと呼称されるタイプのガラスを製造する技術が、朝鮮半島に存在した百済の工人によって伝えられたことで開始されました。その後、鉛ガラスの製造は、8世紀の奈良時代に入るといっそう盛んにおこなわれるようになったと考えられ、正倉院に納められた宝物として伝えられているほか、古代寺院に安置された仏像の荘厳(装飾品)としても使用されています。
文責:
奈良女子大学
大賀 克彦

写真提供:
奈良文化財研究所

国立文化財機構奈良文化財研究所2021『飛鳥池遺跡発掘調査報告』