弥生時代のガラス玉

弥生時代のガラス玉
人工的に製造されたガラスでできた製品が、日本列島において初めて出現するのは弥生時代中期初めの紀元前4ないし3世紀のことです。ガラス製品のほとんどは玉類として輸入されました。出現期のガラス玉は、本格的な金属器文化とともに伝えられたもので、中国で加工された管玉やトンボ玉が中心となります。ところが、弥生時代後期の紀元後1世紀になると、南インドや東南アジアで製造された異なる種類のガラス玉の輸入量が激増します。このガラス玉のほとんどは中空のガラス管を切断する方法で加工されたモノトーンの小さな玉で、分布状況から「インド・パシフィックビーズ」と呼称されています。地中海世界から南インドを経て中国へと繋がる「海のシルクロード」を使った遠距離交易の活性化が、日本列島にまで及んだ結果であると考えられます。
写真は京都府京丹後市に所在する弥生時代後期の墳墓に副葬されていた各種のガラス玉を集めたものです。丹後半島周辺は弥生時代においてガラス玉の流入の中心となった地域の一つであり、発掘調査によって非常に多くのガラス玉が出土しています。最も多いのはインド・パシフィックビーズ(写真左下)ですが、中国産の管玉(写真右)も含まれます。また、輸入されたインド・パシフィックビーズやガラス素材を利用した加工も盛んに行われました。製作された勾玉や管玉(写真左上)は北近畿に特有な形であり、個性的なガラス玉文化が発達したことがわかります。
文責:
奈良女子大学
大賀 克彦

写真提供:
京丹後市教育委員会

京丹後市史編さん委員会2010『京丹後市の考古資料』